猫丸先輩の推測

2007年12月11日 読書
講談社ノベルスを読むのは結構久方ぶりです。

主人公は職業・年齢ともに不詳で小柄な童顔の男こと猫丸先輩。
推理モノながら人が死ぬようなことはなく、日常の中のちょっとした不可解な出来事を、先輩は「あくまでこれは僕の推測に過ぎないけど・・・」と言って解決してくれます。

短編集なこともあって非常に読みやすかったです。
あらすじから・・・
ユダヤの王女サロメは預言者ヨカナーンに恋をする。しかしヨカナーンは彼女を近親婚の末に生まれた娘と拒絶する。
サロメは父親のヘロデ王の前で踊りを踊ることの褒美としてヨカナーンの首を望む。
ヘロデ王は預言者であるヨカナーンを殺害したことを深く恐れた。そして王はヨカナーンの首に恍惚と口づけをするサロメを嫌悪し彼女を殺すように兵士に命ずるのだった。

短い戯曲なのですぐに読めました。サロメといえば、愛するあまりに相手を破滅に追い込んでしまった妖婦というのが未読時のイメージでした。最後はともかくとして、初めての恋に自分の感情をもてあましている娘さんなんじゃないかと思いました。
ヨカナーンにしても、サロメの母の断罪や、サロメの出生ばかりに目を向けていて、ひどい男だと思うんですけれど・・・。

表紙買いならぬ挿絵買いしてみました。ビアズリーの絵は一度みたら忘れられないインパクトがあります。

余談ですがこの作品が発表された当時、時の大女優サラ・ベルナールがサロメを演じることが決定していました。しかし作者オスカー・ワイルドの同性愛主義が問題となりサロメは上演が禁止されてしまいました(爆)。
サラ・ベルナールといえばミュシャのポスターがお約束。もし、そのまま公演されていたら、ミュシャが描いたサロメが見られたかも知れません。
原作者と作画者との血みどろの利権争いの末に、現在目にするのが非常に困難な状況にあるキャンディ・キャンディ。マンガだけでなくアニメも全て封印されているので、なつかしのアニメソング番組でも映像が出ないそうです。
大人の事情は世知辛くって嫌ですね、ホント。

ちなみに、画像はキャンディやオバQ等の封印された作品を題材にした本のを持ってきました。
アニメはビデオショップで、マンガは図書館で発見したので全て借りてきました。

足長おじさん的要素が話の根底にあると思います。その上に、美少年との恋、そして恋愛以外のエピソードが上手い具合にマッチしている気がします。コテコテ出はありますが、名作と呼ばれるだけのことはあります。10年ぶりに読みましたが、やっぱり好きです。

それにしてもキャンディの男運の悪さは可哀想すぎです。一人は死に別れ、二人目は生きていても、決して会うことの出来ない境遇になってしまいます。

テリィとの別れのシーンは読むたびに泣けます。

・・・スザナが憎い、憎すぎる。
アンデルセン神父との戦いの決着から始まる第9巻。

そして執事が若返り敵として登場。

ついでにアーカードもちびっ子になりまして。

インテグラは婦警をつれて少佐の元へ殴り込み。

・・・何よりも、ルークバレンタイン氏が奇跡の復活を遂げられました。おめでとうございます。

早く続きが読みたいです。
何を血迷ったか、あゆのリミックスアルバムを買ってみました。
最後に耳にした曲が、恋人が死んでしまうという、いわゆるセカチュー系な詞だったので、なんだかなぁという印象が強かったのですが、ブックオフで250円だったものでつい・・・。

意外なことに初期の曲は改めて聴いてみるとそんなに悪くなかったです。むしろワイルドアームズのテーマ曲とかは結構好きな部類かも。

余談ですがエンドレスでかけていると90年代後半のテレ東アニメの主題歌っぽいイメージが何故か浮かんできました。
あの頃のあゆは時の人だったなぁ・・・。
心理学者でもある著者が、ナチスのユダヤ人収容所で実際に体験した出来事を、心理学手法による考察を元に書いた記録。

著者の体験記のほかに、ナチスが収容所で行った数々の行為についての解説と、収容所で撮影された写真が掲載されていました。
特に写真は・・・百聞は一見にしかずとは言ったものです・・・上手くいえませんがショックでした。

そして本編、先に述べた解説や写真と違って、淡々とした語り口調だったので時間はかかったものの、落ち着いて読むことが出来ました。

人間としての全てを奪われ、過酷な労働や暴力によって死と隣合せの絶望的な環境にある人々。そのような状況であっても、仲間とともに夕日を見ていた、ある一人の囚人が「世界ってどうしてこう綺麗なんだろう」とつぶやく。

この部分を読んだとき、泣きそうになりました。
その一方で人間として心や体が蝕まれていく様、ナチスの人間による様々な行為、そして多くの人々の死についても語られています。

人間の残虐さと同時に、強さも描いている点がこの本のすごい点なのだと思います。

なんだか上手くいえないのが歯がゆいです(泣)。
上野で開催中のムンク展行ってきました。駅前のダフ屋(?)でチケットも安く入手できて出足好調!

ムンクに対するイメージは「叫び」とハチクロにも出てきた、海面に移る月光の道のイメージしかありませんでした。

んで、見終わった後に友人と共通の感想を持ちました。
「ムンクさんてば美人画を描く人だったのだ!」

もちろん、画風は見ての通りなのです。ルネサンスのラファエロや、ロココ主義の画家達のような一見して、可愛い女性ではありません。
ですが神秘的というか、魔性というか、それでいて清楚さも感じさせる。そんな女性達がたくさん描かれていました。

それ以前に実際に絵の前に立った時に、女性を描くことに対する執念のようなものがビシビシと伝わってきたのです。

ちなみに画像の絵が展覧会の目玉作品「不安」ですね。これぞムンク!といわんばかりの存在感でした。あと「病気の子供」もよかったです。

そうはいうものの、たとえ心からの賞賛の意を込めていたとしても、女の人に対して「あなたはムンクの絵に出てくるような、美しい女性だ!」なんていった日には、間違いなくぶっ飛ばされるでしょう(笑)。
夜になると展示物が動き出す、マジカルなパワーにあふれた自然史博物館。そこで夜間警備員として働くことになったラリーは、ティラノサウルスの骨格標本に追いかけられたり、西部開拓期のジオラマにはりつけにされたりと、とんでもない目にあってしまう…。

先日見たペンギン映画は、下手に環境問題を織り込んだために、お子様向けであることが非常に鼻につきました。一方こちらの方は、一貫してお子様向けなので何も考えずに楽しむことが出来ました。
立派な主義主張がなくたって、楽しめればいいという映画もありだと思います。
ところどころに昔の映画のパロディらしきところがありました。ジュラシックパークとアルマゲドンらしきものは分かりました。でも他にもあるかもしれない・・・。
先月最終回を迎えたばかりのビックリマン最新作です。

ヤマト王子達が次界を目指す旧ビックリマンの時代からすれば遥か昔のマトバという場所が舞台です。

大雑把にあらすじいきます。

主人公はノー天気で大食いのゲンキと発明が得意なジェロのお守り二人組。ある日二人は空から降ってきた七つの流れ星(隕石)を見に行く途中で記憶喪失のヤマト王子や十字架天使達と出会う。
ヤマト王子と十字架天使には七人の若神子を集めマシロ域のディアナの元へ行くという使命があると聞き、ゲンキとジェロは二人とともに旅立つのだった。

子供が見ても楽しめますが、絶対に旧作ファンのために作られたアニメではないかと思います。第一話と第二話の悪魔が旧作と同じなことといい、若神子登場のOP・ED映像といいたまらんですね。
若神子の声は残念ながら違います。ヤマト王子役だった鈴木富子さんはすでに亡くなられてしまったそうですし(涙)。とはいえ、スーパーゼウスや今後登場の旧作キャラは結構同じ声優さんなので嬉しい限りです。

個人的にツボだったのは、敵のネロクィーンに「栄養が全部胸の方に行ってしまうから、巨乳はみんなバカだ」と言われた十字架天子を擁護するゲンキのセリフです。

「十字架ちゃんは確かに頭が悪いかもしれない。だけど巨乳とは別問題だぁ!!!!」

20年分の時の流れを感じずに入られません(笑)。こういうノリは昔じゃ考えられません。
それと、第4話のヤマト神帝さんの面影を一瞬だけ思い出す十字架天使のエピソードもすごく好きです。
夜空の月が孤独な画家のために、自分が見てきた様々な風景を方って聞かせるという形式で描かれた作品です。
月が語るのは子供たちのほほえましい姿や、多くの街の一風景、中国やインドなどの異国情緒溢れる様子などのほか、ある人間の生涯など盛りだくさんです、

子供の話や、色々な国々の話は心温まるものが多く微笑ましいものがありました。もちろんそういうのも好きですが印象に残ったのは、人間がどう生きたかを描いた話の方でした。

哀しい結末を迎える人もいれば、見事に生抜いた人もいます。どうし死んでいくかは、どう生きるかということなのかなぁ・・・どっかで聞いたことのある言い回しですが、そんなことを考えてみたり。
あらすじいきます
二つ目の落語家である今昔亭三つ葉は、テニスクラブのコーチをしている大学生の従兄弟から、あがり症を治すために話し方の特訓をして欲しいと頼まれる。そして気がつけば、口下手で振られた女性、いじめを受けている少年、解説が出来ないプロ野球解説者といった人たちまで集まって、全員に落語を教える羽目になったのだった・・・。

問題を抱えた人たちが、誰かと関わることで少しだけ前向きになれるというのは素敵です。もちろん全部解決してハッピーというわけにはいきませんが。

主人公の三つ葉が恋愛に対して不器用なところも笑えました。読んでるこっちは「おいおい、アンタ。いい加減気づけよ。」と突っ込みを入れたくなります。

「胸キュン恋愛小説」というオビはどうかと思いますが、恋愛とそれ以外の人間同士の交流とのバランスもよかったです。文章の上手なので非常に読みやすい一冊でした。

国分太一が主演で映画化するらしいんで、それも気になるところですな。
なんと劉備は倭人というビックリ設定の三国志マンガ。とはいえ非常に面白かったです。劉備の漢っぷりがカッコいいです。信と義を貫く姿は、これぞ三国志という感じ。他のキャラたちも魅力的に描かれていて、ぐいぐい引き込まれてしまいました。

でも、名乗る際に名と字(あざな)を一緒に言うのだけはやめて欲しかったです。劉備玄徳とか、趙雲子龍とか(汗)。きっと軍師殿も諸葛亮孔明っていうんでしょうね。
菅野美穂主演でドラマ化するそうです。近頃のドラマはマンガが原作のものばっかりでどうよ?って感じですが、菅野美穂は好きなのでもしかしたら見るかもしれません。

それはさておき今回のエピソードは、頑張りすぎて社会や仕事から脱落してしまった人々の話が多かったです。脱落した本人だけが悪いのでなく、むしろ周囲の人間達のせいでダメになってしまったとういうのがやるせません。

ほかに使える人間がいないせいで、自分に仕事が集中してしまう。それなのに給料は同じ。だったら、自分が楽をしてもいいじゃないか。

・・・本当に強い人じゃなければたしかにそう考えてしまうかも。

それにつけても、使えない上に頑張っている人の足を引っ張る輩には読んでて本気でむかつきました。まぁ、現実にもいっぱいいるんですけどね。
皇帝ペンギンの世界は歌が命。歌で心を伝えられなければ、一人前の大人にはなれない。音痴な上に、タップダンスが上手という困った皇帝ペンギンのマンブルは、当然のようにエンペラー帝国から追放されてしまう。ひとりぼっちで未知の世界に飛び出すことになったマンブルは、ひょんなことからアデリー・ペンギンの5人組“アミーゴス”、そしてロックのカリスマ、ラブレイスと出会い、次第に自信とリズムを取り戻していく。踊る皇帝ペンギン、マンブルが繰り広げる、自分探しの大冒険が今始まる

ふわふわもこもこのラブリーなペンギンを期待していたのです。ところが、ラブリーなペンギンは冒頭の20分くらいで大人に成長してしまいました(涙)。後ろにもいるアデリーペンギン5の愛らしい後姿がなければその場で見るのやめてたかもしれません。

こういった動物ものに人間を登場させると、人間は必ず侵略者としての側面を持たざるを得ません。いくらペンギンが頑張っても人間に通じるはずもないし、力の差も絶望的に違っているわけですからね。
まぁ、当然ながらラストはハッピーエンドでめでたしめでたしでしたけど。

実際だったらきっとこうなると思いますa
ダンスするペンギンの群れは金になると踏んだ人間が「踊るペンギンを見に行こうツアー」を立ち上げ、南極は観光客が殺到。その結果として環境は荒廃し、餌となる魚も取れなくなった。主人公ペンギンは災いの元凶として仲間達から制裁を加えられてしまう・・・。

うーむ世知辛いなぁ・・・。
近頃はマンガやビデオばっかり見ていてめっきり読書量が減っています。いけないなぁ・・・。

画像は第三弾の表紙ですが、読んだのは最初に出たやつです。

もっとも私は小説を書いたこともありませんし、今後もないでしょうなぁ、多分。
ただ、マンガを描いている人々とは近しく交流を持っていたので、アマチュアが話作りの段階で陥る問題というのは似たようなところがあると感じました。

たとえば
・、見たこともない漢字をやたら名前に使いたがるのはよくない。
・ファンタジー世界を一から十まで全部作ってたら一生終わらない。それならば、よくある素材であっても料理法で個性を出した方がいい。

ライトノベルなりマンガなり、自分で物語りを作る人だったら、読んでおいて損はないと思います。
限定生産のせいで入手できなかったので、Vol2に相当する話はばら売りで全部そろえました。ジーザス。

「ヤマト爆神の章」はいわゆる次界編にあたります。シリアス度がアップし、強力なキャラが敵味方ともにいっぱい出てきます。けれどギャグっぽい話やラブ話もありますので、重苦しい一辺倒ではありませんでした。

余談ですが「愛然かぐや」と「魔胎伝ノア」が好きでした。なんか女神様っぽいので。

心残りは、最終回の時間切れエンディング(涙)。スポンサーのロッテが商品を新ビックリマンへと移行するという大人の事情があったみたいですけど・・・。

最終回を見る以前に結末はネットで知っていたので(ダメじゃん)、実際に見たら立ち直れるかどうか不安だったのですが、想像以上のあっけなさに、別な意味で脱力。

どうやら新作「祝☆ビックリマン」とも関連があるらしいので、来月あたりからそっちのDVDも集めようと思っています。
とはいえ、最終回はともかくとして、よいアニメに違いないことだけは断言できます。
そもそもの始まりは、ビデオショップでビックリマンが3巻までしかなかったこと、それでも借りずにはいられなかったくらい、当時ビックリマンが大好きだったという記憶が自分にあったことでしょうかねぇ・・・。

んで、そのまま勢いでアマゾンに注文しました、一気に通して見てしまいました。
「ヘッドロココの章」はメインが天聖界編なので、シリアス度は控えめでコミカルな冒険ファンタジー色が強いです。好きだったという先入観(?)があったとはいえ、今見ても色褪せませんねぇ。

一番好きだったのは、ヤマト王子達がパワーアップして天聖界の果てにある天聖門を通り、次界目指して旅立つ回ですね。
『覇王別姫(はおうべっき)』とは、項羽が敵である漢の劉邦に破れ、敗走する途中で、愛妾の虞美人と別れる場面をモチーフにした京劇の演目です。京劇は衣装も音楽も中国の魅力満載で、非常に好看でございます。

続きましてあらすじもどき・・・ 
 中華民国時代から太平洋戦争を経て、文化大革命終結までの激動の時代が舞台。物語の主役は二人の京劇役者の程蝶衣と段小樓。二人は厳しい修行時代に出会い共に支えあいながら、名役者としての名声を得る。
 しかし、小樓が元娼婦の菊仙と結婚したとき、彼を愛する蝶衣との運命は狂いはじめる。そして、激動の時代もまた二人を翻弄するのだった・・・。

レスリー・チャン演じる天才女形・蝶衣がすごく色っぽかったです。というかこの作品の魅力は蝶衣という存在によるところが非常に大きい気がします。

蝶衣が天才と呼ばれる理由の一つとして、舞台の上で演じている時に、自分が男であるということを忘れ完全に女性になりきることができるという才能がありました。
また、その最初のきっかけを作ったのは、厳しい訓練を共にし、何かと彼の面倒を見てきた少年時代の小樓でした。

物語のラストでその伏線が見事に浮かび上がってきて、蝶衣の最後の決断に深い説得力を持たせています。

ただ、そこまでの道のりが本当にもう凄まじい・・・。あんな時代じゃなかったら、あそこまで愛情と憎悪が激しく入り混じることもなかったんじゃないでしょうか。

見ている方も「何でここまでされなきゃいかんのよ?」と思うことしばしば。でも実際に起きたことなんですよね。太平洋戦争から文革に至るまでの激動は。

突飛なようでアレですが、最後まで見終わった後に、太宰治の「斜陽」の一節を思い出しました。

「私の胸の虹は、炎の橋です。胸が焼け焦げるほどの想いなのです。
私のこの胸の炎は、あなたが点火したのですから、あなたが消していって下さい。」

最近、足しげく通っているビデオショップは、古くて小さな店舗ながらも、アニメ作品の品揃えが非常にマニアックです。
先日の恋子の毎日をはじめ、ドテラマンやらメイプルタウンやら、超人ロックやら、騎士ガンダム物語やら、けっこう仮面やら・・・とにかく非常に濃ゆいビデオがてんこ盛りです。そういえば「こんなこいるかな?」もありましたね(笑)。

そして本題の「炎トリッパー」。テレビで昔一度見たことがあり、面白いという記憶だけはあったので、再確認するつもりで
借りてきました。

ヒロインが、ガス爆発に巻き込まれ戦国時代にタイムスリップしてしまう。その地で野盗に襲われかけたところを一人の少年に救われる。
ヒロインと一緒に爆発に巻き込まれ、同じくこの時代に飛ばされたはずの小学生の男の子を探すうちに、ヒロインは自分自身の出生や、彼女を助けた少年の過去をも知ることになる・・・というのが大まかなあらすじです。

ボーイミーツガールものでありながら、さりげなく張られた伏線によってミステリー要素も楽しめるよさげな作品でした。

そして、キャスティングがメチャクチャ豪華です。
ヒロインに島本須美さん、相手役の少年・水島優さん、
小学生の男の子に田中真弓さん・・・。

田中さんのちびっ子少年ボイスは、可愛すぎでした。水島さんの少年声は最近聞けなくて寂しいです。(パンダ師匠は別の意味で好きですが)
何より島本須美さんの清純派美少女声は、永遠に不滅です!
絵だけ見ると思いっきりBLっぽいですが、純然たるギャグマンガです。まぁ、BL小説の挿絵の仕事もやってはいるみたいですがね・・・。

ロリロリ美少年ながらも、超絶聞き間違い体質にして漢らしい胸毛をもつ千歳、女王さま好き真性M男の成田、一番の常識人であるホモの屋久島の3人が主人公のギャグマンガです。

ごくたまに、そっち系っぽいネタもありますが、実際に行動に至ることはないのでBLはちょっとという方でも安心して読めます。ホモ男子ににしても、あくまでギャグマンガのホモです。

セリフの切れがよくギャグセンスも冴えているので笑わせていただきました。

タイトルの「もっそれ」とはロリ美少年・屋久島の胸毛を表現するときに使われるている擬態語です。
ちなみに、この作品、全体を通して「あほも(←アホとホモの集団の意)シリーズ」と銘打たれておりますが、単行本にする際、やっぱ「あほも」じゃマズイっしょ?ということで「もっそれ」になったそうです。

でもやっぱり「あほも」がこのマンガの全てを包括している気がします。

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